まなぶ (Vox&Gu) リーダー
三軒茶屋生まれロックンロール育ち、ナゴムギャルは大体友達。ロックンロールサービスのフロントマン 兼 四谷アウトブレイク副店長 兼 ブッキングマネージャー 兼 床にこびりついたガムをこそぎ取る係。酒を飲んでストレスを増やす珍しい男。泥酔して始発の中央線に乗り寝たまま東京と高尾山を往復した記録は5往復。辛い事や悲しい事は料理の煮込みで癒される。
愛猫の名前は「鯨」と「教授」。

いのじゅん (MC&Ba) コンダクター
ロックとお笑いとプロレスとコンピュータサイエンスの十字路で悪魔に魂を売りそこなう。地味な見栄えと不謹慎な思考が売り。ネタ出し担当でくだらない事を山のように考えつくが、予算や手間との折り合いがつかず実現するのはそのうち100分の1程度。クイズに強く「アタックパネル25」はテレビの前では大体優勝だが、チキン野郎なので出場しようとは思わない。いつも板東英二の事を考えている。
現在のところ猫は飼っていない。

 

ちくわ (Vox&Gu) バンマス
俺の身体の筋肉はどこを取っても機械だぜ。1976年結成時から在籍する唯一のオリジナルメンバーだが、リーダーというわけでは無い。真面目に渋い顔をしていても基本的にはくだらない事しか言わず、10年に1度だけ真面目な事を言うが周りに気付いてもらえない。ルチャドール時代からの暴飲暴食がたたり、痛風発症寸前。血圧も既にレッドゾーンだが、糖尿だけはまだ大丈夫と医者から太鼓判。
愛猫の名前は「シオン」。

ちんぱん (Dr&マジっすか!?)
舞台監督 (from _ _ _ _*)
インテリジェントモンスター。演奏中は野獣のようなドラミングと冷静な判断力が同居している。ややこしい事は「適当に」「臨機応変に」「その場のノリで」済まそうとするメンバーの中で、唯一ちゃんと話を進めようとしていつも苦労している。祭りと花火が大好き。カレーの腕前はプロ級。
愛猫の名前は「パピ」。

 
「来て下さい見て下さい聴いて下さい、ロックンロールサービスです」

20世紀のロック音楽の遺産を喰い散らかしながら、毒にも薬にもならない事を叫び続けるバンドです。
エゴやら表現衝動やら成り上がり欲やら、あまつさえモテたい欲すらも無縁!
草野球と同じ精神の、バンドしたい欲求だけで駆動するある意味純音楽!
言いたい事が何もないので叫びもギターの歪みも全て虚空に消えて行く!
そのおかげで、爆音のわりには押し付けがましくないのがいいところ。
ただ来て見て聴いて笑って欲しい、ただそれだけのロックバンドでございます。
そんな我々の目標は、フジロックに出る事と iPod の CM に出ること!
ふざけた草野球マインドで何処まで大きな所にいけるのか、さあさあお立会い!


◇◆バンド運営上の問題点◆◇
・誰も最終的な責任を取ろうとしない
・細かい事、ややこしい事はうやむやにしようとする
・まなぶの酒乱
・ちくわの痛風
・ちんぱんの多忙
・いのじゅん嫁の魚アレルギー

・1976年 サンフランシスコにて結成。ファンカデリックの野外コンサートで飲んだくれ翌日の昼にようやく目が覚めた6人で「バンドでもしようか」という話になった。結成当初のメンバーは以下の通り。(カッコ内は当時の職業)
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Gu,Vo. Dave The Delivery Service (配達員)リーダー<写真右端>
Gu. Chikuwa The Accountant Service(会計士)<写真右から2枚目>
Ba. Billy The Fire Service(消防士)<写真左から2枚目>
Dr. Roger The Trolley Service (路面電車運転手)<写真左端>
Org. Alice The Fishing Service(釣具店勤務)
Per. Fred The Cleaning Service (清掃員)

だがパーカッションのフレッドとオルガンのアリスの連絡先を書いたメモをリーダーのデイヴがすぐに紛失してしまったため、その後二度と会う事は出来ず幻のメンバーとなった。
連絡の取れたビリー、ロジャー、ちくわと改めてバンド活動を開始。リハーサルを重ねる。当初はファンク志向だったが演奏能力が到底追いつかず、爆音でサイケデリックにカントリーを演奏するバンドとなった。「ロックンロールと言っておけば大抵の事は甘く見て貰える」というロックンロールサービスの基本コンセプトは、この時すでに確立していた。

・1977年 ボウリング場にて初ライブを行う。興奮したデイブがレーンを滑りピン回収機に頭を挟まれて12針の大怪我をする。この時の観客は60人だったが、全てボウリングをしにきた客だった。その後もバンドは地道にライブ活動を続け、徐々に知名度があがる。

・1978年 地元ラジオDJの目にとまり、"Have You Ever Seen The Pussy(豆を見たかい)"をリリース。カリフォルニア州のインディチャート5位に入る健闘を見せるも、音楽誌に「どう聴いても CCR のパクリ」というレビューが掲載される。

・1979年 "Safeday the 13th(13日の安全日)" リリース、中ヒット。メジャーレーベルに移籍しアルバム「Convalescent Nightfly(病み上がりの夜空に)」リリース。西海岸ツアー(6都市8公演)。 順風満帆に見えたが、二年前のボウリング場での怪我が原因でデイブが恒常的な吐き気を催すようになり、逃避のためアルコール、ドラッグに溺れ始める。この年、日本では「ドラえもん」放送開始。

・1980年 デイブが廃人同様になってしまったため、リーダーでありながらやむなくバンドを解雇される。デイヴはヴァン・ヘイレンのライブ会場に行き「俺もデイブだ、歌わせろ。デイヴ・リー・ロスには負けない」と暴れるなどの奇行を繰り返し、その都度ちくわが出向いて謝っていた。またこのストレスが原因でちくわの過食が始まる。バンドは休止状態。

・1981年 新 Vo. フランクリン・シナトラ、新 Gu. ナジブ・ラザク・アビディン、オルガン奏者チャン・リン・シャンが加入、6人体制でバンド再始動。その際、誰もリーダーシップを取ろうとしなかったので、リーダー不在の合議制でバンド運営だったが、おむね上手く行った。

・1982年 全米更正者協会の要請を受け、25州を回る刑務所慰問ツアーを行なう。新体制でのアルバム『ギンガムチェック・ストゥージズ』をリリース。このアルバムの1曲「スターボウリング」は廃人となったかつてのリーダー、デイブ・デヴィッドソンに捧げられた。

・1983年 グレイトフルデッドのツアーに参加。8ヶ月にも及んだ。この模様はドキュメンタリー映画「グレイトフル・デッドボール」にまとめられた。

・1984年 マジソンスクエアガーデンでの単独ライブを成功させる。バンドとしての絶頂期。
この頃、ギタリストのちくわがラモーンズへの加入を求められるが断っている。ラモーンズ側が勝手に用意していた「ちくわラモーン」のポスター1000枚を何故か買い取らされた。(この時の顛末が「ラモーン・アイリーン」で歌われている)

・1985年
 初の欧州ツアー成功。ロンドン公演は模様はライブ盤「女王陛下のロックンロールサービス」としてリリースされた。またシングルの B面を集めた「B面軟着陸」もリリース。

・1986年 「サタデーナイトライブ」出演。生放送で「We Are The World」の替え歌を演奏したところ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、クインシー・ジョーンズの逆鱗に触れ、アメリカ全土での仕事を失う。メンバーは一時的にメキシコに避難、隠遁生活を始める。
ちなみにその際の歌詞は以下の通り。
 We are the world, we are the problem,
 We are the corns who was born as bonus,
 so left in a faeces.
 (訳)
 我々は世界だ 我々は問題だ
 我々はおまけとして生まれたトウモロコシであり
 うんこの中に取り残されている

・1987年 メキシコシティーでは小規模なライブを繰り返し、サンフランシスコの馴染みのバンドのブッキングを手伝うなどして日銭を稼ぐ。失意の中ドラムのロジャーが離脱。代わりに地元バンドのテソソモク・ロドリゲスが参加。

・1988年 アメリカに戻れない日々が続く。ちくわとフランクリンはルチャ・リブレの選手として稼ぐ事を決意。デビューに成功し小規模な人気を得るがメヒコ市内にある競技場アレナ・コリセオでの試合にて、フランクリンが飛び技・トペ・スイシーダに失敗。頚椎骨折の重症を負いレスラー生命ばかりかバンド活動も不可能となり、離脱。偽名を使い一人だけサンフランシスコに帰る。
ちくわは引き続き地元レスラー・ゴンザレスと組んだタッグ「フライングV&ザ・ファイアバード」でルチャ活動を継続。ちくわの「火の鳥」をモチーフにしたファイアーバードのキャラクタとコスチュームは、若き日本人練習生・江崎英治に影響を与え、後に「ハヤブサ」というキャラクタとして開花する。(写真-青いマスクがちくわ)

・1989年 バンドとしての収入が完全に途絶え、ちくわのレスラーとしての収入のみになる。ナジブ・ラザク・アビディンとチャン・リン・シャンがブエノスアイレスに駆け落しバンドを脱退。この時まで他のメンバーはチャン・リン・シャンの性別が分からなかったが、この時に男性である事が明らかになる。メンバーは追加せず。

・1991年 ドン・キングに見出され、拠点を日本に移す。

・1993年
中学生になったまなぶ(のちのギターボーカル)が、偶然にもこの年のライブ版を中古CD屋「SWEET DECEIVERS」で購入。その帰り道、先輩に乗っていた自転車を目の前でネジ1本まで解体される。泣きながら自転車のサドルとCDを持って帰り、そのCDをデッキに入れたところから彼の音楽人生が始まる。

1994年 ABCラジオ「誠のサイキック青年団」 "今週の1曲" のコーナーで「ラモーン・アイリーン」がオンエアされる。それを聴いたいのじゅん(のちのベース)が天啓を受け、興奮して六甲山を駆け上りイノシシに蹴られる。
一方、ちんぱん(のちのドラム)は五反田の早朝ヘルスでカート・コバーンの訃報を聞く。

その後は思い出したら小出しにしていきますのでお楽しみに。。。。

・2009年 現在に至る。


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