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| 「来て下さい見て下さい聴いて下さい、ロックンロールサービスです」
20世紀のロック音楽の遺産を喰い散らかしながら、毒にも薬にもならない事を叫び続けるバンドです。
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・1976年 サンフランシスコにて結成。ファンカデリックの野外コンサートで飲んだくれ翌日の昼にようやく目が覚めた6人で「バンドでもしようか」という話になった。結成当初のメンバーは以下の通り。(カッコ内は当時の職業)
Gu. Chikuwa The Accountant Service(会計士)<写真右から2枚目> Ba. Billy The Fire Service(消防士)<写真左から2枚目> Dr. Roger The Trolley Service (路面電車運転手)<写真左端> Org. Alice The Fishing Service(釣具店勤務) Per. Fred The Cleaning Service (清掃員) だがパーカッションのフレッドとオルガンのアリスの連絡先を書いたメモをリーダーのデイヴがすぐに紛失してしまったため、その後二度と会う事は出来ず幻のメンバーとなった。 連絡の取れたビリー、ロジャー、ちくわと改めてバンド活動を開始。リハーサルを重ねる。当初はファンク志向だったが演奏能力が到底追いつかず、爆音でサイケデリックにカントリーを演奏するバンドとなった。「ロックンロールと言っておけば大抵の事は甘く見て貰える」というロックンロールサービスの基本コンセプトは、この時すでに確立していた。 ・1977年 ボウリング場にて初ライブを行う。興奮したデイブがレーンを滑りピン回収機に頭を挟まれて12針の大怪我をする。この時の観客は60人だったが、全てボウリングをしにきた客だった。その後もバンドは地道にライブ活動を続け、徐々に知名度があがる。 ・1978年 地元ラジオDJの目にとまり、"Have You Ever Seen The Pussy(豆を見たかい)"をリリース。カリフォルニア州のインディチャート5位に入る健闘を見せるも、音楽誌に「どう聴いても CCR のパクリ」というレビューが掲載される。 ・1979年 "Safeday
the 13th(13日の安全日)" リリース、中ヒット。メジャーレーベルに移籍しアルバム「Convalescent
Nightfly(病み上がりの夜空に)」リリース。西海岸ツアー(6都市8公演)。 順風満帆に見えたが、二年前のボウリング場での怪我が原因でデイブが恒常的な吐き気を催すようになり、逃避のためアルコール、ドラッグに溺れ始める。この年、日本では「ドラえもん」放送開始。 ・1982年 全米更正者協会の要請を受け、25州を回る刑務所慰問ツアーを行なう。新体制でのアルバム『ギンガムチェック・ストゥージズ』をリリース。このアルバムの1曲「スターボウリング」は廃人となったかつてのリーダー、デイブ・デヴィッドソンに捧げられた。
・1984年 マジソンスクエアガーデンでの単独ライブを成功させる。バンドとしての絶頂期。
・1986年 「サタデーナイトライブ」出演。生放送で「We
Are The World」の替え歌を演奏したところ、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、クインシー・ジョーンズの逆鱗に触れ、アメリカ全土での仕事を失う。メンバーは一時的にメキシコに避難、隠遁生活を始める。
・1987年 メキシコシティーでは小規模なライブを繰り返し、サンフランシスコの馴染みのバンドのブッキングを手伝うなどして日銭を稼ぐ。失意の中ドラムのロジャーが離脱。代わりに地元バンドのテソソモク・ロドリゲスが参加。
・1989年 バンドとしての収入が完全に途絶え、ちくわのレスラーとしての収入のみになる。ナジブ・ラザク・アビディンとチャン・リン・シャンがブエノスアイレスに駆け落しバンドを脱退。この時まで他のメンバーはチャン・リン・シャンの性別が分からなかったが、この時に男性である事が明らかになる。メンバーは追加せず。 ・1991年 ドン・キングに見出され、拠点を日本に移す。 ・1994年
ABCラジオ「誠のサイキック青年団」 "今週の1曲"
のコーナーで「ラモーン・アイリーン」がオンエアされる。それを聴いたいのじゅん(のちのベース)が天啓を受け、興奮して六甲山を駆け上りイノシシに蹴られる。 |
